日本において自由競争によってもたらされるもの

不可解な日本の世論」ということで

今の日本では市場経済によって人々の生活がよくなるという意識が乏しい。そしてなぜか国が貧しい人の面倒を見ることも望ましくないといった考え方の人が多いらしい。こうした発想はどこから来るんだろうか?考えてみたけどどうもよくわからない。

という話を読んだのでエントリかいてみた。

まず、市場経済による生活向上に期待しがたい背景としては、

  1. 競争が激化するとほぼ価格によってのみ勝負が決まる
  2. そのことを購入側も供給側も学習済みである
  3. しかし、コスト削減は主に労働単価の定価か品質低下を原資としているため結局労働者=最終製品消費者層が余計に負担を負う形になる。*1
  4. 一方、品質向上は供給側の中の人の自己犠牲によって達成されるしかなく、経営者層もそれを期待しており、ある意味甘えている構図である(経営者が、ではなく社会全体が)。*2
  5. 結果、消費者利益と供給側利益が両立するのは、新分野が開拓された直後(競争が激しくないとき)のみで、あとは双方ともに満足しがたい状態(ひいては労働者=最終製品消費者層の負担が重い状態)が続くことになる。

ということがあるのではないだろうか。

なお、品質・機能の横並びについては早い段階で同等のものが並びやすい傾向があるためだと思われる。各社とも最低限を超える技術力を持ち、徹底したマーケティングを行っているという事だろうか。あるいは「日本企業の考えることはみんな一緒」というやつなのかも知れない。これはこれで謎だが。

さらに憶測で言うなら、需要の傾向が均一すぎるせいなのでもあるのではないだろうか。それ自体は、かつて、生産を効率化しやすくし、既製品(非オーダーメイド)を普及しやすくしてくれたものであり、日本経済の効率向上に並々ならぬ貢献をした性質なのだとは思う。しかし、品質を担保していた中の人の自己犠牲が期待できなくなってきて*3、かつてのサイクルが維持できなくなると、供給者の住み分けを難しくし、過当競争を引き起こしやすくする傾向が顕在化してきて、厄介な性質になってしまったのではないかと思う。


次に、政府による弱者救済が忌まれるのは「不正受給*4」が少なくない、と内心に照らして理解している人が多いからではないだろうか。この国は、建前的には「不正」である袖の下および私的なコネ、と見返り(公共事業、補助金、独立行政法人)で税金の使われ方が決まっている国だ、と。

そして税率を上げることに主に低所得者層が反対する理由も同様であろう。
所得再分配の役割を担っているはずの税金と公共事業が、ことあるごとに金持ち優遇と言われる改変を受けている、とニュースで言われ続けているのだから仕方がない。
また、毎日のように私腹を肥やすために税金を無駄に使わせていた企業・役人・政治家の名前がニュースに流れてもいる。

皮肉なことに、こういう癒着体質の末端にいる実務者のちょっとした配慮をこそ、税率を上げるのに反対する層は有難がって美談にしていたりする。そのせいで世論調査をすると矛盾しているとしか思えないような結果が出るのではないだろうか。*5


まとめとしては、日本では国内での自由競争による市場経済は、需要の性質からバランスできず、さりとて効果的な公的福祉も、民度が低いため期待できない、というところではないだろうか。結局おしきせの「自由競争とセーフティネット」はすぐに導入できるものではなく、過去の慣例とすり合わせつつ、望ましい体制を構築していくべきなのだろうと思う。

*1:どうも諸悪の根源はこれのような気はするが、部分的には鶏と卵の関係にある様にも思う。

*2:少なくとも一部の業界はそうだと断言できる。違うところの方が多ければそれは悪くない話なのだが、どうも他の業界においても外れているような気がしないのはなぜだろう。

*3:ブレークスルーを個人レベルで達成しづらいほどに技術が成熟してきた為だろう

*4:福祉政策にかこつけて我田引水をやって利益を上げることも含む

*5:まぁ、市場経済の帰結として生じてしまっている労働者の疲弊からは心温まる話なんて捻りだすこともできないのだから無理もないだろうが。